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東京地方裁判所 昭和50年(ヨ)2341号 判決

申請人 新井富男

右訴訟代理人弁護士 北村哲男

同 茆原洋子

被申請人 被申請人浅古運輸株式会社承継人 破産者浅古運輸株式会社 破産管財人 二神俊昭

右破産管財人代理人 寿原孝満

被申請人 誠伸運輸株式会社

右代表者代表取締役 中山幾生

右訴訟代理人弁護士 村田豊治

主文

被申請人らは連帯して申請人に対し金一六三八万五三九六円を仮りに支払え。

訴訟費用は被申請人らの負担とする。

事実

一  申立

1  申請人は「被申請人らは連帯して申請人に対し金一八六九万二一〇一円を仮りに支払え。訴訟費用は被申請人らの負担とする。」との裁判を求めた。

2  被申請人らは「申請人の申請を却下する。」との裁判を求めた。

二  申請の理由(申請人)

1  当事者

(一)  申請人を含む選定者は浅古運輸株式会社(以下「浅古」という。)の従業員であり、浅古運輸労働組合(以下「浅古労組」という。)の組合員である。そして、その殆どが自動車運転手である。

(二)  浅古は資本金三九〇万円の運送会社で、東京都清掃局のゴミ収集、運搬を請負い、昭和五〇年六月現在約五〇台のゴミ収集車を保有して、月間約二〇〇〇万円程度の運賃収入を得ていたが、昭和五〇年一一月一二日破産宣告を受け、二神俊昭が破産管財人となった。

(三)  被申請人誠伸運輸株式会社は浅古と同種の運送会社で車両約九〇台、従業員約一〇〇人を擁している。

2  被保全権利

(一)  申請人を含む選定者らは連日ゴミ収集の業務に従事し、浅古に対して各自別紙債権目録(一)記載のとおりの債権を有していた。

(二)  被申請人誠伸運輸は申請人を含む選定者に対して右債権の支払義務を負っている。

(1) 浅古の全経営者は、その内紛のため、昭和五〇年五月三〇日姿を消してしまった。その後、大株主浅古賢三郎と同被申請会社の代表者たる中山幾生との間に浅古買収の話が進められた。申請人らはこのことを聞き及び、その所属する浅古労組が同被申請会社に対して団体交渉を申入れたうえ、これを行った結果、同年六月二六日、同被申請会社において浅古と浅古労組との間の同年六月分の給与賃金協定、同年四月分のベースアップについて、責任をもって支払う旨の協定が成立した。右協定に従って、同被申請会社から申請人を含む選定者らに支払がなされたが、その後同年七月一〇日、さらに同年七月分給与(同月二五日支払)、夏期一時金を支払う旨の協定がなされたにも拘らず、その支払がなされないばかりか、これを拒否する言動に及んでいる。同年七月分給与と夏期一時金について、浅古労組と同被申請会社との間に、同月一〇日結ばれた協定によれば、夏期一時金額は、一律金二四万七五〇〇円、勤続加算一年につき金七〇〇〇円、家族加算一人につき金五〇〇〇円、というのであった。これによって、申請人を含む選定者各自への支給額は別紙債権目録(一)中夏期一時金欄記載のとおりとなる。

(2) 前記協定は、同被申請会社が、浅古再建のために、申請人らとの間に結んだものである。これは、同被申請会社が浅古の再建のために申請人らに対して負った併存的債務負担行為であると解すべきである。

すなわち、前記協定は、浅古の旧経営者たる小泉慶治が失踪した後、同被申請会社が浅古を買収しようとしていた過程でなされたものであって、当時既に同被申請会社代表者中山幾生から浅古の大株主たる浅古賢三郎に対して手付金として数百万円が支払われ、旧浅古の全従業員、顧客(東京都清掃局)、車両施設およびその債務等をすべて中山幾生の手中に移行しようとしていた過程であった。買収主は、形式的には中山個人であるが、実体は同被申請会社による吸収合併または営業譲渡と解される。

(3) 仮りに、右が同被申請会社の債務引受行為と解されないとするならば、浅古が本来負うべき協約上の債務について、実質上の利害関係を有する同被申請会社が申請人らに対して保証する旨の契約であるというべきである。

(4) 仮りに、以上の主張が認められないとするならば、浅古の法人としての実体はなく、労働協約の一方の当事者としての法人格は否定され、同被申請会社がそれを有していると解すべきであって、前記協定の履行責任を負うべきである。

ア 前記協定当時の浅古の役員構成は、同被申請会社の代表者たる中山幾生とその妻、同被申請会社の従業員で中山の秘書格の横沢政義とその妻であって、大多数の株式は中山幾生が買収する予定であった。このことから、前記協定成立当時既に経営権の実体は同人の手中にあった。東京都の清掃業界においては、同業会社が他社を合併ないし吸収すること、あるいは同一人が二以上の同一事業を営む会社の代表者になれないとの慣習がある。そこで、やむをえない場合は親子兄弟の名前を使い、形式だけは別会社とし、実体は同一経営者のもとで一個の経営が行われている場合がいくつかある。本件の場合も、中山幾生が実質上の経営者であり、横山政義は形式上の代表者たるに過ぎない。

イ 同被申請会社代表者中山幾生は、前記協定に基づいて、申請人らに対し、昭和五〇年六月二八日および同年七月一〇日に合計金八〇〇万円の賃金等を支払った。団体交渉は同被申請会社において行われ、金額は同人自ら労組と協議のうえ決定したものであって、右の金銭の支払も、同人の指示により同被申請会社の経理担当重役坪見一生によって直接手渡されたものであって、その領収証は、東京都連の中川義和から同被申請会社代表者中山幾生宛に出されている。

ウ 賃金以外の労働条件についても、同人は、誠伸運輸労働組合と同一条件とするよう主張し、申請人らも概ねこれに同意した。このような経過で妥結した夏期一時金の内容は、同被申請会社従業員のものと全く同一である。

エ 買収後の浅古の本社所在地は、同被申請会社と同一場所に定められ、就労場所も一時同被申請会社の本社が予定されていた。また、新車庫として予定された場所は、買収が効を奏さなかった現在、同被申請会社が使用している。

オ 以上の諸事実は、形式こそ違え、実体は旧浅古と同被申請会社の合体に外ならない。前記協定成立当時の浅古の経営実体は、同被申請会社の一部分に過ぎず、浅古の法人としての主体性労働協約の協定当事者としての適格性、協定の履行能力等一切なく、すべての実体は同被申請会社が具えていたものである。

3  保全の必要性

申請人を含む選定者らは、全員給与生活者であって、被申請人らからの給与等が唯一の生活収入源である。

なお、五十嵐商会との間の再建計画は進行中であるが、新会社は設立されていない。また、破産財団から給与債権支払の予定は全く不明であり、その見込は極めて少額である。

≪以下事実省略≫

理由

一  申請理由1(一)および(三)の各事実ならびに同(二)のうち昭和五〇年六月現在の浅古の保有自動車台数および月間収入額を除くその余の事実は当事者間に争いがない。

二  そこで、申請人主張の被保全権利の存否について検討する。その金額等は暫らく措き、浅古がその従業員たる申請人ほか選定者に対して給料等の支払義務を負うことは勿論であるが、被申請人誠伸運輸もまたその義務を負うか否かを先ず考えるのに、同被申請会社がこれを責任もって支払う旨の協定であるかどうかは別にして、申請人主張の内容の各協定が成立したことは当事者間に争いがない。そして、≪証拠省略≫によれば、右協定の当事者は同被申請会社を一方当事者とするのに対し、他方は全日本運輸産業労働組合東京都連合会(執行委員長中川義和)、運輸労連東京清掃労組共闘会議(議長井口勝市)、浅古労組(委員長申請人)であったことが疎明されるので、この事実に徴すれば、他に特段の事情なき限り、同被申請会社は浅古従業員の七月分給料および夏期一時金の支払を約したものということができる。

そこで、この協定成立に至る経緯を調べてみる。

1  申請理由2(二)(1)のうち浅古運輸の全経営者が姿を消したこと、被申請人誠伸運輸が浅古運輸買収の話を進めたこと、申請人主張の団体交渉の当事者および同被申請会社が責任をもって支払う旨の各協定成立の事実ならびに六月分およびベースアップ差額分支払の事実を除くその余の事実、申請人主張の協定当時の浅古運輸の役員構成が、同被申請会社の代表者たる中山幾生とその妻、同被申請会社の従業員たる横沢政義とその妻であったこと、東京都の清掃業界においては、同一人が二以上の同一事業を営む会社の代表者になれないとの慣習があること、東京都連の中川義和から同被申請会社宛の領収証が出されたこと、申請人主張の協定中夏期一時金額が誠伸運輸労組と同一であること、買収後の浅古の本社所在地が同被申請会社と同一場所に定められたことはいずれも当事者間に争いがない。

2  そこで、右争いのない事実、≪証拠省略≫を綜合すると、次の事実が疎明される。

(一)  浅古は、浅古賢三郎が全株式を所有している会社であったが、昭和五〇年五月頃には、約五〇台の自動車をもち、東京都に金千数百万円の債権を有していた。にも拘らず、経営が行き詰り、同月末日には、代表取締役の小泉慶治が所在を眩し、東都いすずから自動車三九台を引き上げられてしまったため、あとに残った従業員らが約一〇台の自動車で細々と業務を続けた。しかし、これとても、同年六月二三日には、燃料が尽きたため、全くできなくなった。

(二)  浅古労組は、同月二〇日頃、清掃業経営者の団体である東京環境保全協会へ相談に行ったところ、同協会の宇田川会長から浅古再建の話があり、そのうち被申請人誠伸運輸の中山幾生が買収するらしいとの情報を得た。同月二三日浅古労組の上部団体たる運輸労連東京の中川義和が中山とその代理人たる村田弁護士と会った。その時、浅古労組三役も来合わせていたので、同席した。中山のいうのには、浅古は自分が経営することになるが、その条件として、それまで浅古が使用していた本社の土地建物や草加の土地は浅古賢三郎個人の所有物なので、賢三郎から中山への浅古株式の譲渡には、一週間以内に右土地建物を明渡すことになっているから、浅古労組としてもこれに協力してほしいということであった。同労組三役は、事柄が即答しかねるものであるだけに、ひとまず組合員に諮ったうえ、返事すると答えた。

(三)  同月二六日、同労組高田副委員長、山県書記長ほか執行委員、運輸労連東京の中川委員長、西河書記らが同被申請会社に赴き、同被申請会社の代表者中山のほか、横沢政義、山本政雄、大山忠夫、深瀬博明、松井清、坪見一生らと会った。そして、同被申請会社と運輸労連東京都連、同労連東京浅古運輸労組との間に、次のような協定が結ばれた。すなわち、双方とも足立区新田と草加市に新車庫を確保するため努力し、それまでは、浅古運輸従業員は浦安の同被申請会社第三車庫で就業する、六月分賃金と四月分差額は一括して支払い、六月二一日から同月末日までの賃金は七月二五日に同月分に含めて支払う、作業開始の目途を七月一日とする、立上り資金について協議するというものであった。

次いで、同年六月二八日、両者間で覚書が作成され、右の賃金支払いは一人当り内金一〇万円を同日に、残金は七月一〇日までに支払う、立上り資金として金二〇〇万円、内金一〇〇万円は七月一〇日に、残金一〇〇万円は夏期一時金支払日に支払うという内容であった。これに従って、四月分差額、六月分賃金、立上り資金一〇〇万円、合計金九〇〇万円余が支払われた。

(四)  同年七月一〇日冒頭の協定が結ばれた。

(五)  同被申請会社代表者の中山が浅古賢三郎から株式を譲受け、浅古再建を図るにあたって、同年六月二四日浅古の新代表取締役に予定されていた横沢政義と同被申請会社および中山は賢三郎に次のような念書を差入れた。横沢は代表取締役の辞任届を予め賢三郎に預けておき、同人がこれを使用していつでも横沢を辞任させられるようにしておくこと、株式譲渡手続完了までは、横沢は浅古の計算で債務を負わず、東京都に対する債権を取立てないこと、違約の際は三名連帯で損害を賠償すること、同被申請会社は、その担保として金五〇〇万円を賢三郎に預けることというものであった。そして、翌二五日右金五〇〇万円が授受された。次いで、同年七月二日、賢三郎と中山との間に、浅古株式譲渡に関する仮契約書が取り交された。すなわち、浅古全株式の代金二一五〇万円とし、ほかに賢三郎の浅古に対する約八五〇万円の債権についても、中山が代払いすること、中山と新浅古は浅古本社と草加営業所の土地建物の賃借権を放棄し、同月一〇日頃明渡すよう努力すること、右明渡とともに本契約を結ぶことというものであった。清掃業界では同一人が二社の経営を兼ねない慣習があったので、中山としては、同被申請会社の従業員である横沢を買収後の浅古代表者に送りこみ、自らは単なる取締役として名を連ねるつもりで、役員の配置も決めていた。それで、同年六月二六日の協定を結ぶ際も、交渉を始めるに先立ち、同被申請会社の役員の紹介とともに、横沢を浅古の代表者として紹介された。浅古労組側から新役員の登記の有無について質問があったが、手続中である旨の返答がなされた。しかし、横沢はいわば中山の傀儡に過ぎないので、交渉の席でも何ら発言なく、途中で退席する有様で、専ら労組側と中山との間でなされたので、結局、浅古買収を通じ、新たな浅古がいずれ商号を変えることになるとしても、その実権は中山ひとりにあることは誰の目にも明らかであって、この点に疑問をもつものはいなかった。

(六)  ところで、右各協定の一方当事者として、同被申請会社が表示され、その代表者中山の記名捺印がなされているのは、当初の協定の際、交渉の結果協定書を作成する段階において、運輸労連東京都連の西河書記が記載したものであるが、その書面を見た中山から疑問が述べられた。しかし、浅古は、すでに登記簿上の役員が不在で、新たな役員も未登記であり、実質的には同被申請会社の支配下にあり、あるいはその一部門とも見られる立場にあるので、中川においてその説明をしたところ、中山はそれ以上追及せず、捺印した。

(七)  中山の浅古買収は同年七月一〇日を過ぎるも、前記土地建物の明渡ができず、結局不成功に終った。

以上の事実が疎明される。≪証拠判断省略≫また、≪証拠省略≫には、同被申請会社からの現金支出は浅古に対してであった旨の記載があるけれども、≪証拠省略≫および前認定の協定内容と対比して、そのままこれを採用することはできない。

以上の事実関係によれば、中山幾生は浅古の買収が仮契約とはいえ、すでに同会社を手中にしたつもりで、早急に同会社の業務を始めるべく、そのために右協定を結んだものと見ることができる。確かに、同会社の株式は中山個人が取得することになっていたけれども、右事実関係からも明らかなとおり、役員等人的にも、資金、施設等物的にも同被申請会社が全面的に乗り出してきたのであって、右協定書のとおり、右協定は同被申請会社を一方当事者とするものと見るほかない。そこで、同被申請会社代表者としての中山の記名押印が、浅古の代理としてなしたとの主張について考えるのに、浅古がなすべきならば、代理すべく委任したとする横沢の記名押印を直接求め得たと考えられるし、同人が途中退席したとしても、同人に対する支配関係から残らせることさえ可能であったと見られる。のみならず、代理行為の趣旨を明らかにして、代理人として記名捺印をすることは至極たやすいことであるにも拘らず、それをしていない。そして、右の交渉から協定に至る事実を通じて、中山あるいは同被申請会社において浅古を代理する趣旨の言動を全く窺うことはできない。むしろ、中山としては、買収が近い将来実現するものと思い込み、その暁には、浅古と同被申請会社とを敢えて区別することなく、一体となるべきものと考えたうえでの行動と推認することができる位である。ただ、後に至って右の買収が不成功に終ったため、遡って右各協定についても、同被申請会社の責を免れんがため付会した理由に過ぎないということができる。従って、同被申請会社の右主張は採用することができない。

同被申請会社は、利益金一八五万円余に過ぎないので、浅古の債務を引受けたり、あるいは保証することはあり得ないと主張する。確かに、≪証拠省略≫にはその主張程度の利益しかない旨の記載を看取できるけれども、浅古と何ら関連のない場合には、なるほどその主張のように考えるのがもっとも自然であり、合理的であるといえよう。しかし、すでに説示のとおりの経緯があって、買収が軌道に乗っていると思われた段階であり、それが実現した場合、東京都に対する金千数百万円の債権もあって、現に浅古のために金九〇〇万円以上を支出していることを考えると、単に同被申請会社の利益だけから、右捺印の効果を否定することは困難である。

そうだとすれば、被申請会社の協定によってなしたのは、協定事項について債務負担の意思表示であるといわなければならず、これは債務引受というべきである。

三  ところで、申請人を含む選定者らの昭和五〇年七月分給料額および夏期一時金額がその主張の別紙債権目録(一)記載の金額であることを疎明する資料はない。

≪証拠省略≫によって認められる同年四、五月分の給料額の平均額に従う(但し、斉藤輝夫については四月分に従う。)ほかなく、また夏期一時金についても勤続、家族加算について必ずしも明確でないので、一律額によることとする。

もっとも、被申請人らは申請人らの労務の不提供を主張する。前記認定事実のように、同年六月二六日の協定によって、同年七月一日から浦安の第三車庫で就労する目途であったが、≪証拠省略≫を綜合すると、申請人を含む選定者らは同年七月一日を期して浅古の業務再開のつもりであったが、就労場所として指定された同被申請会社の第三車庫(浦安)は浅古の旧本社営業所に比較して通勤に不便を伴うため、前記協定においても、浅古旧本社や草加営業所に近いところの用地取得を要望し、同被申請会社もその事情を了解していたものの、その後用地取得は渉らず、むしろ同被申請会社において積極的に取得のための意欲も窺えず、さらに、東都いすずに引上げられた自動車も戻って来ずに目途とした七月一日が近づいたため、就労しようにも業務再開の見込みがないとして、浅古労組は中山に連絡して、同日以後依然として浅古旧本社等を占拠して、第三車庫(浦安)へは行かなかったが、中山の指示もあって、浅古旧本社に残っていた一〇台の自動車の塗装をしたり、同被申請会社第四車庫の砂利敷を行ったりしたのに、横沢からは浅古の新代表取締役の肩書を付した第三車庫へ就労するようにとの業務指令書を受取ったことが疎明される。

右事実によれば、申請人を含む選定者らが同被申請会社第三車庫へ就労しなかったものであり、その不就労について、前記協定からも申請人主張のように車両の確保等が就労の条件になっていると見ることはできず、他にこれを疎明する資料はない。しかし、横沢の命令とは別に、中山の指示もあり、命令系統に混乱が見られるうえ、少いとはいえ労務の提供がなかったわけではないので、むしろ第三車庫へ行かなかったことは、結局同被申請会社の責に帰すべきものといわざるを得ない。従って、この点に関する被申請人らの主張も採用できない。

四  以上のとおりであるから、≪証拠省略≫によって窺われるように、同被申請会社から一括して浅古労組に手渡された金員の配分につき、同労組の一方的な、あるいは不明朗な方法があったとしても、これをもって本件請求を拒む理由とはならないので、結局被申請人らは連帯して申請人に対して別紙債権目録(二)記載の金員を支払うべき義務があるというべきところ、申請人を含む選定者らがいずれも浅古従業員として給料を生活の資としていること明らかであるから、たとえ≪証拠省略≫によって窺われるとおりその後退職したものがいても、また≪証拠省略≫によって窺われるとおり失業保険金を受給している事実があったとしても、保全の必要性を否定するものではない。

よって、保証を立てしめずに、前記金員の仮払を命ずるのを相当と認め、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八九条、第九三条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 富田郁郎)

〈以下省略〉

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